扉が開いた。 ロビーの光がいっせいに、僕の目に押し寄せてくる。 僕は目を細めて、隣の彼女を見た。 光の中で見た、彼女はそれはもう、美しかった。 流れるような金髪と、鼻筋が通って、きりっとした顎のライン。 サングラスの隙間からのぞく眼も綺麗に見えた。瞳は青いんだ。 日本語うまいけど、やっぱり外国の人なんだな。 濃い赤でルージュを引いていても、唇の形の良さを損なっていない。 モデルか映画俳優みたいだ…。 「何、ぼけっとしてんのよ」 「いや…綺麗な人だなって…」 僕は生まれて始めて、こんな台詞を言ってしまった。 あまりの出来事に、恥ずかしいとか思うのを忘れてしまったんだ。 「はん!当然じゃない。光栄に思いなさいよ。こんな美人を彼女にできるんだから」 「え?彼女…」 そういや、さっきもそんなことを…。 「さ、行くわよ。シンジ」 僕は歩き出した彼女に引きずられるように、その隣を無様に進んでいった。
映画館を出た後、正直言って僕は雲の上を歩いているような気分だった。 これまで会った事のないような美人と腕を組んで、街を歩いている。 リストラされたことなんか、忘れてしまっていたんだ。 本当に暢気なものだった。 この隣の美人が一体何者かもわからないというのに。 どう見ても外国人のこの人は何も言わずに歩いていく。 傍目には僕がエスコートしているように見えるだろうけど、実際は彼女がたくみにリードしていたんだ。 僕は彼女の動く通りに歩いているだけ。 そして、そのときの僕といえば…。 この幸せな時間が少しでも長く続きますように…そうありとあらゆる神様にお祈りしていたんだ。 そういえば、もうすぐクリスマスじゃないか。 奇蹟って起こってくれないかな? まあ、どうせ、僕は何かの弾除けに…実際にピストルで撃たれるとは思えないけど…使われてるんだろうな。 変な男に付き纏われてるとかね。 もうしばらく歩いたら、「ありがとね」とか言われて、ポイ。ま、そんなとこでしょ。僕なんて。 彼女は駅前のデパートに入っていった。 エレベ−ターにのって、13階で降りて…食堂街か、お腹すいたのかな? はい?隣のエレベーターを待って、それから5階へ。 紳士服売り場。あ、僕が釣り合い取れないから、何か買って来いって言うのかな…って、また、隣? 次は地下2階。それから、8階。そして、15階。 同じエレベーターに3回も乗っているから、エレベーターガールのお姉さんも微妙に変な顔をしている。 「あの、さ。どうして…」 「黙っといて」 まるっきり、僕の疑問に答える気はないみたい。 彼女はそれからフロアを歩いて、別のエレベーターで同じように館内を上下した。 三半規管が強くて良かったよ、本当。 まあ、普通に考えたら、誰かを撒こうとしてるんだろうけど、放っておいていいのかな? 何か僕にも協力できることがあるんだったら…。 そう言おうと思ってたら、2階で降りてそのまますたすたと駅への連絡通路へ向かいだした。 「アンタ、一人暮らし?」 突然の質問に、僕は面食らってしまった。 「え、えっと…」 「いちいちこっち見ないで。前向いて話しなさいよ」 「あ、ごめん。えっと、一人暮らししてるけど…」 「じゃ、女ものの服とか下着はない?」 「ふえっ?」 思わず大声を上げてしまった僕に、彼女は軽く舌打ちをした。 「アンタ、馬鹿ぁ。リアクションが大きすぎるわ。恋人のとかないの?」 「ないよ。そんなのいないし」 「へえ、そうなんだ。でも、困ったわね…」 「服ならさっきのデパートで…」 「はぁ…。買えれば世話ないわよ」 「お金ないの?カードも?」 「そんなの持ってるはずないでしょ」 彼女は当然という口調で吐き捨てた。 「あ、そうなんだ。ごめん」 「う〜ん、ジーパンとかTシャツはあるよね」 「あ、それなら」 「じゃ、それ貰うわね」 貰うって、借りるじゃないの?普通は。 「あの、もし、何なら、お金は僕が…」 「何、それ?私を何だと思ってんの、アンタ」 彼女は立ち止まり、絡めていた腕を解いて、僕を睨んだ。 サングラス越しだったけど、僕はその鋭い眼光が見えるように思えた。 「ご、ごめん。変な意味じゃないよ。こ、困ってるんならって…」 僕は言葉につかえながらも、真意だけは伝えなとかないと、と思い必死に訴えた。 彼女はしばらく僕の顔を見つめていたけど、軽く肩を竦めた。 「OK。信用するわ」 あらら、あっさりと。 「えっと…いいの?信用して」 逆に僕のほうが不安になった。 確かに彼女のことは何もわからないし、ひょっとしたらヤバめの世界の人かもしれない。 でも、彼女にとったら、僕だって見ず知らずの人間だし…。 その時、彼女の唇が笑った。 「アンタっていいヤツみたいだね。ホント、アンタでよかったわ」 「はい?」 「じゃ、アンタんとこ行くわよ」 「へ?」 「聞こえなかった?アンタのとこに泊まるの」 「誰が?」 「私が」 「いつ?」 「今から」 「ええっ!」 僕がそう叫ぼうと口をあけた瞬間、彼女の手が僕の口を塞いだ。 「叫ぶと思った。大声出さないでって言ったでしょ」 く、空気が…。ちょっと、鼻までふさがないでよ…。 でも、彼女の香りがして…香水じゃないよね、これって。 酸素不足と陶酔感に気絶しそうになる一歩前に、彼女は手を離した。 「いちいち馬鹿声出さないでよ。碇シンジ」 「あ、うん…ごめん」 「さっさと案内する。寒くて仕方ないんだから」 え?こんなに暖かそうな外套着てるのに? 「ほら、早く」 僕は彼女にせかされるままに、家路をたどったんだ。
帰宅。 彼女と二人で。 僕の家に彼女のような美人が上がるなんて、想像もしなかったよ。 昨日、掃除してて良かった。 「ふ〜ん、狭いわね」 開口一番これである。玄関口に立って、腕組みしながら唇を尖らせている。 「こんなもんじゃないかな、ワンルームって」 「へえ…そうなんだ」 そう言うと、彼女はおもむろにサングラスを外した。 初めて見る彼女の顔…。やっぱり美人だ。 青い瞳に金髪が良く似合ってる。 「何。ジロジロ見てんのよ」 気がつくと彼女の眦が吊り上がってる。 「見世物じゃないわよ」 「あ、ごめん」 「謝ってばっかり。それより、早く暖房入れてよ。寒いんだって」 「うん!」 僕はエアコンのスイッチを入れ、風量を最大にした。 「何?火の出るのは無いの?」 火が出るって、凄い表現だな。 「ファンヒーターとか、ストーブはないよ」 「じゃ、買ってきなさいよ」 何言い出すんだ、この人は。 「アンタ、さっきお金出すって言ったでしょ」 「言ったけど、えっと…寒いから?」 彼女がこくんと頷いた。 あ、可愛い。綺麗なんだけど、今の仕草、何か凄く可愛かった。 そういや、幾つくらいなんだろう。外国の人って年わかんないや。 「あのさ、買いに行ったりしてる間に、暖まると思うんだけど」 「そうなの?じゃ、いいわ」 彼女はハイヒールを脱いで、床に上がった。 スリッパ…って、うちには無かったか。 確かにその薄いストッキングに床は寒いよね。 僕は座布団を彼女の前に置いた。 彼女は何も言わずにその上に立って、部屋の中をしげしげと眺めた。 「ふ〜ん、ウサギ小屋って聞いてたけど、そこまで酷くは無いわね」 はぁ…、外国の人って…。 「でも、馬小屋よりは全然狭いわ」 う、馬ですか。 「あら、気を悪くした?」 「ううん。確かに狭いから」 「良かった。私、はっきりものを言うから」 そう言うと、彼女はにっこりと微笑んだんだ。 今まで散々、ジャブを受けてダメージをくらってたんだけど、この笑顔は効いた。 トリプルクロスを受けたジョーより、効果があったんじゃないかな。 だって、この時から、僕はこの名前も知らない彼女の虜になっちゃったんだから。
「ねえ、お風呂の準備してよ」 「お、お風呂?」 「寒いって言ってるでしょ。シャワーだけじゃ寒いもん」 「あ、うん。わかった」 僕は慌ててお風呂の用意を始めた。 さっきの赤面した顔、見られちゃったかな? 恥ずかしかったから、僕は精一杯動くことにした。 コーヒーじゃなくて、紅茶だって言うから、近くのコンビニに走ったんだ。 ついでにパンとか食べるものも買って…コンビニで食料品に5000円以上使ったのなんて初めてだ。
トントン。 「世界で一番美しいのは?」 「馬鹿シンジ」 「OK」 とほほ…。何て合言葉なんだよ。 それに世界で一番美しいのは君自身なんだよ…なんて僕には似合わないよね。 チェーンロックの外れる音がして、扉が開いた。 チェーンまで掛けてたんだ。 「早かったわね」 「うん、ちょっと走ったから」 本当はちょっとじゃない。全力疾走で往復したんだ。 彼女がいなくなってしまわないか、心配だったから。
紅茶を淹れて、彼女が美味しそうに飲み始めた頃に、お風呂ができたことをブザーが教えてくれた。 彼女はゆっくりと紅茶を飲み干してから、僕に言ったんだ。 ジーパンとTシャツ。その上に着るものを用意しろって。 それから、彼女は立ち上がった。 そして、赤い外套のボタンを上から外していくと…。 外套の下は、な、なんと! ウェディングドレスだった。 ど、どういうことなんだ!
赤い外套を着た女 − 上 − おわり
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