扉が開いた。

 ロビーの光がいっせいに、僕の目に押し寄せてくる。

 僕は目を細めて、隣の彼女を見た。

 光の中で見た、彼女はそれはもう、美しかった。

 流れるような金髪と、鼻筋が通って、きりっとした顎のライン。

 サングラスの隙間からのぞく眼も綺麗に見えた。瞳は青いんだ。

 日本語うまいけど、やっぱり外国の人なんだな。

 濃い赤でルージュを引いていても、唇の形の良さを損なっていない。

 モデルか映画俳優みたいだ…。

「何、ぼけっとしてんのよ」

「いや…綺麗な人だなって…」

 僕は生まれて始めて、こんな台詞を言ってしまった。

 あまりの出来事に、恥ずかしいとか思うのを忘れてしまったんだ。

「はん!当然じゃない。光栄に思いなさいよ。こんな美人を彼女にできるんだから」

「え?彼女…」

 そういや、さっきもそんなことを…。

「さ、行くわよ。シンジ」

 僕は歩き出した彼女に引きずられるように、その隣を無様に進んでいった。

 

 

  

2003年聖夜記念

赤い外套を着た女

編の上


ジュン     2002.12.17

 

 

 

 映画館を出た後、正直言って僕は雲の上を歩いているような気分だった。

 これまで会った事のないような美人と腕を組んで、街を歩いている。

 リストラされたことなんか、忘れてしまっていたんだ。

 本当に暢気なものだった。

 この隣の美人が一体何者かもわからないというのに。

 どう見ても外国人のこの人は何も言わずに歩いていく。

 傍目には僕がエスコートしているように見えるだろうけど、実際は彼女がたくみにリードしていたんだ。

 僕は彼女の動く通りに歩いているだけ。

 そして、そのときの僕といえば…。

 この幸せな時間が少しでも長く続きますように…そうありとあらゆる神様にお祈りしていたんだ。

 そういえば、もうすぐクリスマスじゃないか。

 奇蹟って起こってくれないかな?

 まあ、どうせ、僕は何かの弾除けに…実際にピストルで撃たれるとは思えないけど…使われてるんだろうな。

 変な男に付き纏われてるとかね。

 もうしばらく歩いたら、「ありがとね」とか言われて、ポイ。ま、そんなとこでしょ。僕なんて。

 彼女は駅前のデパートに入っていった。

 エレベ−ターにのって、13階で降りて…食堂街か、お腹すいたのかな?

 はい?隣のエレベーターを待って、それから5階へ。

 紳士服売り場。あ、僕が釣り合い取れないから、何か買って来いって言うのかな…って、また、隣?

 次は地下2階。それから、8階。そして、15階。

 同じエレベーターに3回も乗っているから、エレベーターガールのお姉さんも微妙に変な顔をしている。

「あの、さ。どうして…」

「黙っといて」

 まるっきり、僕の疑問に答える気はないみたい。

 彼女はそれからフロアを歩いて、別のエレベーターで同じように館内を上下した。

 三半規管が強くて良かったよ、本当。

 まあ、普通に考えたら、誰かを撒こうとしてるんだろうけど、放っておいていいのかな?

 何か僕にも協力できることがあるんだったら…。

 そう言おうと思ってたら、2階で降りてそのまますたすたと駅への連絡通路へ向かいだした。

「アンタ、一人暮らし?」

 突然の質問に、僕は面食らってしまった。

「え、えっと…」

「いちいちこっち見ないで。前向いて話しなさいよ」

「あ、ごめん。えっと、一人暮らししてるけど…」

「じゃ、女ものの服とか下着はない?」

「ふえっ?」

 思わず大声を上げてしまった僕に、彼女は軽く舌打ちをした。

「アンタ、馬鹿ぁ。リアクションが大きすぎるわ。恋人のとかないの?」

「ないよ。そんなのいないし」

「へえ、そうなんだ。でも、困ったわね…」

「服ならさっきのデパートで…」

「はぁ…。買えれば世話ないわよ」

「お金ないの?カードも?」

「そんなの持ってるはずないでしょ」

 彼女は当然という口調で吐き捨てた。

「あ、そうなんだ。ごめん」

「う〜ん、ジーパンとかTシャツはあるよね」

「あ、それなら」

「じゃ、それ貰うわね」

 貰うって、借りるじゃないの?普通は。

「あの、もし、何なら、お金は僕が…」

「何、それ?私を何だと思ってんの、アンタ」

 彼女は立ち止まり、絡めていた腕を解いて、僕を睨んだ。

 サングラス越しだったけど、僕はその鋭い眼光が見えるように思えた。

「ご、ごめん。変な意味じゃないよ。こ、困ってるんならって…」

 僕は言葉につかえながらも、真意だけは伝えなとかないと、と思い必死に訴えた。

 彼女はしばらく僕の顔を見つめていたけど、軽く肩を竦めた。

「OK。信用するわ」

 あらら、あっさりと。

「えっと…いいの?信用して」

 逆に僕のほうが不安になった。

 確かに彼女のことは何もわからないし、ひょっとしたらヤバめの世界の人かもしれない。

 でも、彼女にとったら、僕だって見ず知らずの人間だし…。

 その時、彼女の唇が笑った。

「アンタっていいヤツみたいだね。ホント、アンタでよかったわ」

「はい?」

「じゃ、アンタんとこ行くわよ」

「へ?」

「聞こえなかった?アンタのとこに泊まるの」

「誰が?」

「私が」

「いつ?」

「今から」

「ええっ!」

 僕がそう叫ぼうと口をあけた瞬間、彼女の手が僕の口を塞いだ。

「叫ぶと思った。大声出さないでって言ったでしょ」

 く、空気が…。ちょっと、鼻までふさがないでよ…。

 でも、彼女の香りがして…香水じゃないよね、これって。

 酸素不足と陶酔感に気絶しそうになる一歩前に、彼女は手を離した。

「いちいち馬鹿声出さないでよ。碇シンジ」

「あ、うん…ごめん」

「さっさと案内する。寒くて仕方ないんだから」

 え?こんなに暖かそうな外套着てるのに?

「ほら、早く」

 僕は彼女にせかされるままに、家路をたどったんだ。

 

 帰宅。

 彼女と二人で。

 僕の家に彼女のような美人が上がるなんて、想像もしなかったよ。

 昨日、掃除してて良かった。

「ふ〜ん、狭いわね」

 開口一番これである。玄関口に立って、腕組みしながら唇を尖らせている。

「こんなもんじゃないかな、ワンルームって」

「へえ…そうなんだ」

 そう言うと、彼女はおもむろにサングラスを外した。

 初めて見る彼女の顔…。やっぱり美人だ。

 青い瞳に金髪が良く似合ってる。

「何。ジロジロ見てんのよ」

 気がつくと彼女の眦が吊り上がってる。

「見世物じゃないわよ」

「あ、ごめん」

「謝ってばっかり。それより、早く暖房入れてよ。寒いんだって」

「うん!」

 僕はエアコンのスイッチを入れ、風量を最大にした。

「何?火の出るのは無いの?」

 火が出るって、凄い表現だな。

「ファンヒーターとか、ストーブはないよ」

「じゃ、買ってきなさいよ」

 何言い出すんだ、この人は。

「アンタ、さっきお金出すって言ったでしょ」

「言ったけど、えっと…寒いから?」

 彼女がこくんと頷いた。

 あ、可愛い。綺麗なんだけど、今の仕草、何か凄く可愛かった。

 そういや、幾つくらいなんだろう。外国の人って年わかんないや。

「あのさ、買いに行ったりしてる間に、暖まると思うんだけど」

「そうなの?じゃ、いいわ」

 彼女はハイヒールを脱いで、床に上がった。

 スリッパ…って、うちには無かったか。

 確かにその薄いストッキングに床は寒いよね。

 僕は座布団を彼女の前に置いた。

 彼女は何も言わずにその上に立って、部屋の中をしげしげと眺めた。

「ふ〜ん、ウサギ小屋って聞いてたけど、そこまで酷くは無いわね」

 はぁ…、外国の人って…。

「でも、馬小屋よりは全然狭いわ」

 う、馬ですか。

「あら、気を悪くした?」

「ううん。確かに狭いから」

「良かった。私、はっきりものを言うから」

 そう言うと、彼女はにっこりと微笑んだんだ。

 今まで散々、ジャブを受けてダメージをくらってたんだけど、この笑顔は効いた。

 トリプルクロスを受けたジョーより、効果があったんじゃないかな。

 だって、この時から、僕はこの名前も知らない彼女の虜になっちゃったんだから。

 

「ねえ、お風呂の準備してよ」

「お、お風呂?」

「寒いって言ってるでしょ。シャワーだけじゃ寒いもん」

「あ、うん。わかった」

 僕は慌ててお風呂の用意を始めた。

 さっきの赤面した顔、見られちゃったかな?

 恥ずかしかったから、僕は精一杯動くことにした。

 コーヒーじゃなくて、紅茶だって言うから、近くのコンビニに走ったんだ。

 ついでにパンとか食べるものも買って…コンビニで食料品に5000円以上使ったのなんて初めてだ。

 

 トントン。

「世界で一番美しいのは?」

「馬鹿シンジ」

「OK」

 とほほ…。何て合言葉なんだよ。

 それに世界で一番美しいのは君自身なんだよ…なんて僕には似合わないよね。

 チェーンロックの外れる音がして、扉が開いた。

 チェーンまで掛けてたんだ。

「早かったわね」

「うん、ちょっと走ったから」

 本当はちょっとじゃない。全力疾走で往復したんだ。

 彼女がいなくなってしまわないか、心配だったから。

 

 紅茶を淹れて、彼女が美味しそうに飲み始めた頃に、お風呂ができたことをブザーが教えてくれた。

 彼女はゆっくりと紅茶を飲み干してから、僕に言ったんだ。

 ジーパンとTシャツ。その上に着るものを用意しろって。

 それから、彼女は立ち上がった。

 そして、赤い外套のボタンを上から外していくと…。

 外套の下は、な、なんと!

 ウェディングドレスだった。

 ど、どういうことなんだ!

 

 

赤い外套を着た女 − 上 − おわり

 

編の中へ続く 

 

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